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大阪高等裁判所 平成5年(ネ)950号 判決

控訴人

(旧姓吉川)

宮本邦子

右訴訟代理人弁護士

吉田竜一

竹嶋健治

前田正次郎

山田直樹

増田正幸

松本隆行

吉田竜一訴訟復代理人弁護士

工藤展久

被控訴人

姫路市

右代表者市長

戸谷松司

右訴訟代理人弁護士

有田尚徳

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人は控訴人に対し二九〇七万五六一八円及びこれに対する平成二年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  控訴人のその余の請求を棄却する

二  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを四分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

三  この判決は、控訴人勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、三八九九万二四二七円及びこれに対する平成二年五月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、三年七か月の男児が姫路市の管理する公園内の池に転落して死亡したことから、男児の母が国家賠償法二条一項に基づいて姫路市に対し損害賠償を請求した事件であるが、原審が池の設置・管理に瑕疵はないとしてその請求を全部棄却したため、原告から控訴したものである。その事実関係の要点は次のとおりである。

控訴人は、夫と死別した美容院経営者で、長女恵闌(昭和六〇年三月三〇日生)及び長男静昭(昭和六一年九月二八日生)の二児の母であるが、保育園が休みとなる日曜日や祝日で特に仕事が繁忙となるときは叔母の森本サカエに一日七〇〇〇円の謝礼を支払って二児を預けその面倒を見てもらっていた。

平成二年五月五日(子供の日)もいつものとおり右両名を森本に預けて美容院で仕事をしていたが、森本は、右両名を自宅や近くの公園で遊ばせ、さらに、午後四時ころ夫の運転する自動車で両名を手柄山中央公園に連れて行き、水族館近くの駐車場で両名を遊ばせたのち、恵闌が公園内にある本件池(もと農業用の溜池だったのを公園拡張の際市が整備し公園施設の一部としたもの)のあひるを見たいというので、再び自動車で本件池に向かい、池のすぐ近くの市道に自動車を停めた。そこで、恵闌と静昭の両名は自動車から下車し、連れ立って池の周りの遊歩道を池の方に向かって歩いて行ったが、森本は膝の持病のため、座ったままの姿勢からすぐに歩くことが困難であったことからそのまま自動車の中に残り、そこから両名の様子を見守っていた。

ところが、二人が池の渕の植え込みの向う側へ回り、それに遮られて両名の姿が見えなくなったので、どうしたのかと思っていたところ、突然恵闌が「静昭ちゃんが池に落ちた」と大声で叫びながら植え込みの陰から走り出てきたので、驚いた森本が急いで恵闌が泣いている植え込みの所まで駆けつけて水面を見たが水面には泡が出ているだけで静昭の姿は見えなかった。そこであわてて池に入ろうとしたが、深くて足が届かなかったので、「誰か助けて」と言って近くの人に救助を求めるとともに、そのまま走って公衆電話まで行き、事の次第を手短に控訴人に伝えた。それから急いでもとの場所に戻ってみると、すでに静昭は池の中から引き揚げられており、救急車も到着していたので、これに乗せて姫路聖マリア病院まで運び救命の手当てをしたが、結局、同日午後六時一〇分ころ溺水を原因とする急性呼吸不全による急性心不全で死亡するにいたった(このうち、静昭が本件池に転落したこと、姫路聖マリア病院で急性心不全で死亡したことは当事者間に争いがなく、その他の点は甲第一、二号証、第五号証、証人森本サカエの証言及び控訴人本人尋問の結果によってこれを認める。)。

第三  争点

一  本件池の管理に瑕疵があったといえるか

(争点一に関する控訴人の主張)

本件修景池は、年間二〇〇万人もの利用者のある手柄山中央公園のほぼ中央に位置し、すぐ側にバス停留所がある。本件池のすぐ北側は市道幹線二一号線を挾んで滑り台、ブランコ、シーソー等の遊具が設置されている児童公園「ふれあい広場」となっていて、本件池との間にある横断歩道を通って容易に行き来することができるようになっている。また、厚生会館や温室植物園、野球場も近くにあり、さらに公園のすぐ東側には幼稚園、小学校、中学校も設置されている。このような場所的環境から保護者同伴で本件池を訪れる幼児・児童が多く、なかには保護者の付添いのない児童もあり、しかも本件池には幼児・児童の興味を誘うあひるや鴨がいるので、これらの幼児・児童が池に近づき誤って転落することは容易に予測されるところである。

ところが、本件池の護岸は垂直に切り立った石積となっており、しかも水深は深いところで1.8メートルもあるので、転落すれば、幼児や児童が独力で這い上がることができないことはもとより、同伴の保護者も池に入ってこれを助け上げることはきわめて困難な状態にあったのであるから、転落による水死事故等を防止するには、棚等の設置がどうしても必要であった。しかるに、本件池はこのような防護設備は全く設けていなかったのであるから、これが通常備えるべき安全性を欠いたものであり、その設置・管理に瑕疵があったことは明らかというべきである。

また、右公園は、都市公園法に基づく都市公園として設置されたものであるが、同法四条二項に基づいて公園施設の基準を定める都市公園法施行令は、「公園施設は、安全上及び衛生上必要な構造を有するものとしなければならない」(六条)、「その利用に伴い危害を及ぼすおそれがあると認められる公園施設についてはさくその他危害を防止するために必要な施設を設けなければならない」(八条六項)と規定しており、都市公園法の適用される公園施設について他の造営物より高度の安全性を要求しているが、右施行令八条六項は修景施設である公園施設についても適用されるのであり、本件池が修景池であるからといって、低い程度の安全性を備えておれば足りるということにはならない。

(争点一に関する被控訴人の反論)

本件池のある手柄山中央公園は東西方向に延びる市道幹線二一号線を挾んで南北二つの部分に分かれており、北側部分に水族館、遊園地、「ふれあいの広場」等の施設が、南側部分に本件池や植物園、厚生会館等の施設がそれぞれ設置されているが、このうち多数の人が参集するのは北側部分であって、本件池の存在する南側部分は、その設置目的や性質からして集まってくる人の数も少なく、また、幼児や児童が保護者に付き添われないで訪れるようなことは予想されず、実際に本件池を訪れているのも池の周りを散策する成人や保護者同伴の幼児・児童に限られている。さらに、北側部分を利用する幼児・児童もほとんどが保護者同伴であるばかりでなく、交通量の多い右市道により南への横断が事実上遮断されているため、北側部分を利用する幼児や児童が、しかも保護者にも同伴されないで市道を渡って南側部分の本件池までやって来るようなことはきわめて稀なことである。

また、本件池の周囲の遊歩道は十分な幅があり、護岸の石積みが垂直になっている点は、むしろ転落防止に役立つうえ、仮に誤って転落した場合でも石垣に手足をかけることにより這い上がることを容易にしているということができる。

以上のような本件池の場所的環境、利用状況、用途、構造を総合すれば、本件事故のように保護者に伴われていない幼児が本件池に転落して死亡するようなことはとうてい予測することのできない事態であり、また、本件池が設置されて以来二〇年の間池への転落事故は一度も発生したことがないのであるから、そのような事態に備えて転落防止のための柵等を設置しなかったからといって、本件池の設置・管理に瑕疵があるということはできない。

二  森本サカエの不注意を考慮して過失相殺することができるか

(争点二に関する被控訴人の主張)

本件事故は、静昭が自己の不注意で池に転落したために発生したものというほかはないが、当時同人は三歳七か月で事理弁識能力を有していたのであるから、この不注意を斟酌して損害額を減額すべきである。また、控訴人も森本サカエが足の持病のため適切な監護をすることができない状態にあったことを看過して静昭の監護を委ねたばかりでなく、静昭に対し監護者たる森本の指示に従うよう注意を与えなかったのであるから、その点において控訴人自身にも過失があるというべきである。さらに、本件事故は、日額七〇〇〇円の報酬を受けながら、静昭ら幼い姉弟が二人だけで本件池に接近するのを放置し、市道に駐車した自動車内にとどまったまま同人らを十分に監視監督しなかった森本の不注意によって発生したものであるから、同人の右過失も被害者側の過失として、控訴人の損害を算定するについて斟酌されるべきである。

(争点二に関する控訴人の反論)

森本サカエは、親族間の好意で僅かの謝礼を貰って一時的に静昭を預かり監護していた者にすぎず、生計も別であって、身分上ないし生活関係上一体をなす関係にあったものではないから、仮に同人に監護上の不注意があったとしても、これを被害者側の過失として損害額の算定に際して斟酌することはできず、これを斟酌することは公平の理念に反することになる。また、静昭は事理弁識能力を有しておらず、控訴人自身にも本件事故の発生についてなんらの不注意はないから、それによって過失相殺をすることはできない。

第四  争点に対する判断

一  甲第五、検甲第一ないし第二〇、第五〇ないし第五三、第六三ないし第一〇三号証、検乙第一号証の一、二及び検証の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故当時、静昭が転落したところの水深は約1.8メートルで、水際まで遊歩道となっており、池にはあひるや鴨が遊泳していたことが認められるところ、この事実と前記認定の事実からすれば、静昭はアヒルを近くで見るために水際に近づき誤って池に転落したものと推認するのが相当である。

二  争点一について検討するに、前掲各証拠、甲第三、第三五、三六号証、第三九号証、検甲第二一ないし第四九、第五四ないし第六二号証によれば、右事実関係のほかさらに次の事実が認められる。

1  本件池は、都市公園法に基づく都市公園として姫路市が設置、管理し、年間二〇〇万人もの利用者のある手柄山中央公園(三六ヘクタール)の施設の一つで、公園のほぼ中央を東西に延びる市道二一号線のすぐ南に位置している。右市道の北側部分には水族館、回転展望塔等があり、多くは保護者に同伴された幼児・児童で賑わっており、右市道のすぐ北側はだれでも自由に利用することのできる「ふれあい広場」と名付けられた広場となっていて、ブランコ、スベリ台、シーソー等の遊具が設置されている。市道の南側部分には、本件池の南東側に温室植物園や厚生会館が、また、南西側に野球場がそれぞれ設置されていて展示や各種催しが開かれている。公園の南側部分と北側部分とは、右「ふれあい広場」と本件池との間に設置されている横断歩道及びその東側に設置されている歩道橋によって行き来することができるようになっているが、右市道の自動車の交通量はかなり多い。

2  本件池は、日本庭園風に設計された周囲約二四〇メートルのいわゆる修景池で、石積みの護岸は水面と直角状になっており、本件事故が生じた護岸付近の水深は平常で約1.5メートル、増水時には約1.8メートルに達する。また、池の周りには遊歩道が設置されていて水際に容易に近づくことができるようになっているが、遊歩道には、本件事故当時「きけん」と記載した看板が立てられていただけで転落防止のための柵等は設置されていなかった。

以上認定の事実に基づいて考えるに、本件事故が、池に遊泳しているあひるを近くで見るため水際に近づいた静昭が誤って池に転落したために発生したものと推認されること前記のとおりであるところ、本件池は景観を楽しむために設置されたいわゆる修景池であって本来幼児・児童の遊戯の場所として利用する目的で設置されたものではなく、また、本件池のある公園南側部分の植物園や野球場も、その性質上、主として成人や年長の学童の利用に供される施設であって、本件池の周辺は、公園の北側部分と比較すると保護者が同伴していない幼児・児童の来集する可能性の少ない場所であるといわざるをえないけれども、公園北側部分の施設の利用者の中には足を延ばして本件池に立ち寄って池の周りの遊歩道を散策したりする者も少なくなく、また、自動車等で直接本件池に訪れる者も存在することは容易に推認されるところであり、しかも本件池には幼児・児童の興味をそそるあひるや鴨も遊泳しているのであるから、たとえ保護者同伴であってもわずかの隙に幼児・児童が独りで池に近づき、足を滑らせるなどして水中に転落することがありうることは予測可能であって、過去にそのような事例がないからといってこのような事故の発生が予測不能であったということはできない。もっとも、幼児や児童が池に転落するようなことがあっても、水深が浅く水底も平坦であるならば、自力で容易に水面から這い上がったり、同伴している保護者等がこれを助け上げたりすることにより、事故の発生にまで至ることはないであろうが、本件池のように護岸が水面と垂直の石積みとなっており、水深も1.5ないし1.8メートルもある場合には、一旦転落すれば自力で這い上がることは到底できず、たとえ保護者等の成人が近くにいてもこれを助け上げることはきわめて困難といわざるをえないので、ただちに水死事故等の発生につながることは見易い道理であり、したがって池への転落が予測可能である以上、人身事故発生の予見もまた可能であったといわなければならない。そうすると、本件池については、転落防止のための防護柵等が設置されるべきであったといわなければならず、その設置のない本件池は通常備えるべき安全性を欠くものであって、その設置又は管理に瑕疵があるものといわざるをえない。

そして、本件池に右のような転落防止のための柵等が設置されておれば、静昭も本件池の水際まで接近せず、本件転落事故の発生を避けることができたはずであることは前記認定の事故の状況からもこれを肯認することができるので、被控訴人は、国賠法二条一項に基づいて、本件事故によって生じた損害を賠償すべき責任を負うものというべきである。

三  次に、争点二(過失相殺)について考えるに、前記のような本件事故発生の状況からすれば、事故当日静昭の監護を控訴人から委託されて同人に同伴していた森本サカエが、たとえ膝に持病があるとはいえ、自動車から下車した幼児二人が池の方へ近づいていくのに随行せず、駐車させていた自動車の中にとどまったままでいたのははなはだ無責任であり不注意であったといわなければならず、同人が静昭に付いて池の側まで行っておれば、本件のような事故は生じなかった公算がきわめて大きいといわざるをえないのであって、同人のこの不注意が本件事故の一因であることは明らかといわなければならない。

そこで、森本の右過失を本件事故による損害の額の算定について斟酌することができるかが問題となるが、森本は静昭の親権者として同人の監護義務を負っていたわけではなく、また、一日七〇〇〇円の謝礼を受領していたとはいえ、控訴人の被用者として静昭らを監護していたものでもないが、静昭の母である控訴人の叔母であるところから、従前から日曜日や祝日に控訴人に依頼されて静昭らの監護にあたり、休日であった本件事故当日もいつものとおり控訴人から右両名を預かって監護していたものであるから、両名を預かっている間は法定の監護義務者である控訴人に代わってこれを監護すべき立場にあったものというべきであり、その限りにおいて、静昭と身分上、生活関係上、一体をなすとみられるような関係にあったものというべきである。そうすると、森本の過失は、いわゆる被害者側の過失として本件損害賠償の額を定めるについてこれを斟酌することができるといわなければならず、前記認定の事故の状況その他諸般の事情からすれば、その過失の割合は三割程度と認めるのが相当である。

第五  損害について

1  処置料(請求額九四五五円)

九四五五円

甲第四号証によれば、静昭は収容された姫路聖マリア病院で手当てを受けたが、その処置料は九四五五円であったことが認められる。

2  葬儀費(請求額九〇万円)

八〇万円

本件事故と相当因果関係のある損害としては八〇万円と認めるのが相当である。

3  逸失利益(請求額一七〇八万二九七二円)    一八八七万円

静昭は、本件事故当時三歳七か月であるから、本件事故がなければ一八歳から六七歳までの四九年間、賃金センサス平成二年産業計・企業規模計・学歴計一八歳労働者の平均賃金二一七万六五〇〇円(年額)を下らない収入を得ることができ、また、その生活費は右収入の二分の一程度であると推認することができる。そこで、右の収入から右の生活費を控除して逸失利益の本件事故当時における現価を求めると、一八八七万円(一万円未満切捨て)となる。

算式 217万6500×0.5×17.344(28.325−10.981)

4  慰謝料(請求額一八〇〇万円)

一八〇〇万円

本件事故に関する諸般の事情を考慮すると、慰謝料の額は一八〇〇万円が相当というべきである。

5  過失相殺

被害者側である森本の過失の割合が三割であることは前記のとおりであるから損害賠償の額は、右各損害の七割に当たる二六三七万五六一八円となる。

6  相続

控訴人が静昭の母であることは前記のとおりであるから、控訴人は右静昭の損害賠償請求権を相続した。

7  弁護士費用(請求額三〇〇万円)         二七〇万円

弁論の全趣旨によれば、控訴人が本訴の提起と追行を弁護士である控訴人代理人に委任し費用及び報酬の支払を約したことが推認されるところ、本訴認容額及び本訴審理経過等に照らし、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用としては、二七〇万円と認めるのが相当である。

第六  結論

そうすると、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し前項5の損害金と7の弁護士費用との合計二九〇七万五六一八円及びこれに対する本件事故の日である平成二年五月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当として棄却すべきである。

よって、本訴請求を全部棄却した原判決は右の限度で不当であって本件控訴は一部理由があるので、原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官野村利夫 裁判官楠本新)

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